「DJになる」には、どんな道があるだろうか。
その1つが、DJスクールとDJ練習&交流会(以下DJ練習会)を主催する『高円寺DJ部室』だ。全く機材に触ったことがない初心者も参加できるDJ練習会には、毎回多くの人が年齢関係なく詰めかける。
人気の秘訣を探りに同スクール代表のDJ兼オーガナイザー・なかねゆうすけ氏に話を訊いた。
彼が語る「ゆるくDJになる方法」とは。
文:ヨコザワカイト
写真:村上麗奈
挫折からのスタート:小室哲哉に憧れた少年がDJを始めるまで

―まずは、なかねさんが音楽を始めたきっかけからお話しいただければと思います。
なかね:高校生のころ小室哲哉さんにハマったんですよ。シンセサイザーも買って、マネして曲を作ってみたり。軽音楽部では「Get Wild」をコピーしました(笑)。スクールには通えなかったので、「小室哲哉コード進行」みたいな本を買ってきて一人で孤独に打ち込みをして(笑)。世界に影響を与える存在に憧れてたので、夢中になっていました。でも、その時は微妙な曲しかできなくて、あんまり納得する形にはならなくて。
―そこからDJを始められたのは?
なかね:たしか、25か26歳の時です。
―小室哲哉に憧れた少年がDJを始めるようになった経緯を知りたいです。
なかね:一人暮らしを始めた当時はお金を稼ぐのに精一杯だったんですけど、たまたま中学校の唯一の友達含め3人でイベントをやりまくるお店を高円寺に作ることになって(笑)。そこで知り合いも増えてきて。その時お店の関連でたまたま知り合った知人からおすすめの音楽を教えてもらったのが、クラブミュージックでした。The Chemical Brothersとかcapsuleとか。
なかね:初めて聴いた時に衝撃を受けたんですよ。めっちゃ踊れるじゃんと(笑)。それでクラブに連れて行ってもらって。失礼な話、クラブってチャラチャラしてるイメージがあってタカを括ってたんですけれど、それがガチでアングラなドラムンベースのイベントで「何じゃこりゃ!」と。今はなき渋谷・moduleですね。
―それは衝撃を受けるでしょうね(笑)。
なかね:僕がそれまで憧れてたのって、自分で曲を作って発表するっていうアーティストの形だったんですよ。でも、DJって他人の曲を使えるじゃないですか(笑)。一度自分で曲は作れないと挫折していたので、こんなにカッコ良いならやってみたい、と素直に思いました。
―最初に挫折があり、その反動もあってのスタートだったと。
なかね:とにかく、音楽に関わっている人が憧れだったんですよ。でも、自分ではそれが達成できなくて。それで、ようやくこれはできるんじゃないかっていうものに巡り会えたんですよね。そうこうしていたら、とあるオーガナイザーに出会えて。その人にDJに興味があることを伝えたら「やる?」って訊かれて(笑)。やるも何も機材も持ってないし、と。そしたら、家に機材あるから触りにきていいよって言われて、3回触ってクラブに出ました(笑)。
―それはすごいです(笑)。集客とかってどうしたんですか?
なかね:ちょっと順番が左右するんですけれど、capsuleからナカタヤスタカが好きになって。ヤスタカオフ会を開いたんですよ。mixiの自己紹介の欄にPerfumeとかナカタヤスタカとか書いてある人全員にメッセージを送って。今考えたら、完全にスパムですよね(笑)。
―その行動ってDJの原型みたいですね。
なかね:初のDJは何とTSUTAYAで借りてきたCDを直でそのまま袋開けてやるという。めちゃくちゃヘタクソだったんですけれどね。オフ会の人を呼んでヤスタカさんの音楽を流したんでまあ盛り上がったんです。そりゃそうですよね(笑)。でも、強い挫折と憧れが入り混じっての1発目がめちゃくちゃ楽しくてハマってしまいました。
DJスクールのスタート「人を集めたら何とかなるかな」
―スクールや練習会を始めるまでにはどんな流れがあったんですか?
なかね:この記事を読んで練習会を初めて知る方に向けて説明すると、説明会は20分毎の枠に初心者でも誰でもエントリーしてDJができるという会ですね。
―練習であり、発表会という意味で言えば本番でもあり。
なかね:初めての方もいるし、昔DJやってた方がリハビリみたいな感じで来ることもできるし。それが練習&交流会です。スクールでは技術を学んだりさらに交流を深めたり。だから2つは相互的に組み合っていますね。スクールで習った人はもちろん練習会に出られるし、その逆でもうちょっとちゃんとやりたいという人がスクールに習いにきたり。
―最初はどういう形で始まったんですか?
なかね:最初は練習会です。何のためかっていうと「自分ができなかったから」なんですよ。
―詳しく教えてください!
なかね:デビュー直後にそもそも自分の機材を持ってなかったので、自分の店に人を集めたいのと練習したいというので、機材を持っているお客さんに話しかけて。その人が家では音を出せないというので「じゃあここだったら音を出せますよ」と。そこに人を集めたら何とかなるかなと思って始めたのが練習会です。
―なるほど。
なかね:それが、11,2年前です。それも、mixiで人集めたりして。当時はmixiが最強でしたね、今のTwitterみたいに開かれてなくて少し閉じてるからこそ好きな人が密に集まっていて。あとは日記を各文化があったので長文をみんなが読み合う文化があり。そこで参加者集めてスタートしたんですよ。家でDJをやっている人のことを僕は「お宅DJ」と呼んでいるんですけれど。彼らって人前でやったことない人も実は結構上手くて。そんな人たちをガンガン集めて、彼らのプレイから勉強しながら。僕自身それまでちゃんと習ったことはなかったので、じわじわとできるようになってきました。当時は月8回とかやってました。アホですね(笑)。
―その数をよく回せましたね!
なかね:そうなんですよ。それで自分もDJができるようになってきて、そしたら初めて触るような人に「教えてください」と言われる側になるんですよね。それで今考えるとめちゃめちゃ短いんですけど1人20分という枠で練習会中に順番でDJを教えたりもし始めたんですよ。それを何年もかけて、今度は練習会ではなく1対1のレッスンになって、そのレッスンが1時間→2時間とだんだん時間も増やしていって、今は先生1人に対して生徒さん3~5人とかに一度に学んでもらえるスクールになっていったと。
―何年もかけてスクールになっていったのですね。
なかね:教えていたら、喜んでくれたので(笑)。最初はスクールをやるつもりなんてありませんでした。でも元々、自分もDJで化けさせてくれたので。今では、その経験をたくさんの人に伝えたいなと思っています。ここがトリガーになって欲しいんですよ。DJという武器を手にいれて、まだブレイクしていない人の人生が楽しくなっていけば良いなと思います。
―これからDJを始めるという方も増えていくと思うので、このような場は重要さを増してくると思います。しかもなかねさんが始められたのは、他にスクールも無いような時期ですからね。
なかね:10年前から始めているので、結構元祖っぽい感じかもしれないです。でも、本当はお金があればね、習ったりいろいろできるんでしょうけれど。僕の場合はお金がなくて人を集めるしかなかったので。人を集めて集めて場所を提供する代わりに、技を盗むということしか思いつかなかった(笑)。それをブラッシュアップしていって意味を持たせて行ったのが今ですね。
「今目指しているのは“窓口”なんですよ」
―今あらためて、練習会が生まれてきた意味を考えると?
なかね:DJ初心者だったり昔DJやっていた人、今までとは違う楽しみ方をしてみたいという人のきっかけ作りになったらいいなと思っています。あとは、パワーを貯める場所ですね。
―パワーを貯める、ですか。
なかね:イベントの出演ってアウトプットの場なので、結構精神を消費するんですよ。でも、練習会に帰ってくると原点に戻るというか、初心者の人もいるし他のジャンルの人もいるし、初心を思い出せるかなと。初心者が多いからみんなあたたかく平和に見守ってくれるんですよ。「家」というか「B面」というか、そう思ってくれたら良いですね。
―クラブでは出演者とお客さんという関係だけど、練習会はその垣根がやんわりとしていますよね。
なかね:いろんな思いでくる場ですけれど、今目指しているのは“窓口”なんですよ。練習会からスクールに行ったり、イベントに繋いだり、自分の知らないジャンルに出会ったり。
―色んな思いを持った人が来て、どこかに縁を持って出ていくと。そこには、やはり練習会は“本番ではない”という意識もあるのでしょうか?
なかね:ありますよ! ぶっちゃけコンセプトだったり縛りがあるイベントの方が楽しいですもん(笑)。でも練習会では、それをあえてなくしてるんです。逆にいうと、あんまり盛り上がらないんですけど(笑)。練習会が下手に盛り上がっちゃうとそれは違う気がしていて、それが狙いではないというか。
―その分敷居が上がってしまいますものね。
なかね:緊張感はイベントで感じて貰えばいいので。だから、出る方もそこまでの「お祭りわっしょ的な」盛り上がりは期待しないでくださいね(笑)。盛り上げる時もあるのですが、基本はそれでいいと思ってまして。その分その場での会話だったり、2次会だったりでコミュニケーションを取るようにしています。

―なかねさんも意識して話しかけにいっていますよね。
なかね:基本的には「コミュ障」の集まりなので(笑)。自分も含め。みんな「1人で大丈夫かな」とドキドキしながらきてくれて。僕も主催じゃなかったらきっと話せないです。だからその壁を崩しにいきたいし、みんなが話しやすい雰囲気を作っていきたいなと意識して運営しています。DJ同士で知り合いを作って、イベントに呼びあったりDigに行ったり、そうなっていって欲しいですね。
―しかも、年齢も関係なく集まっていますよね。
なかね:そうですね。音楽の醍醐味って「壁を突破すること」のような気がするんですよ。年齢が違って普段話さないような組み合わせでも、音楽が好きだったら繋がれるわけじゃないですか。自分も音楽とDJという武器があるから、色々な人と接することができるので。それがなかったらヒノキの棒を持っているだけの村人ですよ(笑)。
“DJができる”って使い勝手がいいんです
―この時期、それぞれ部屋で音楽を楽しむ時間って増えていると思うんですよ。その点、DJをすることが選択肢になりやすいような気がします。
なかね:そうですね、“DJができる”って使い勝手がいいんです。もちろん、人によっては「DJはこうでないといけない」という思想もありますけれど、実はいろんなことが自由にできて。音楽は何でもいいというのも強い。場所も、例えば車の中でもいいし、誰かのホームパーティーでもいいし。あとは日本だとまだ物珍しいっていうのが逆に良いんですよ。みんなに注目してもらえるので。
―日本だとまだ浸透しきってないからこそ、それが強みにもなっていると。そういう流れもあって、最近DJスクールって結構多いですよね。『高円寺DJ部室』の運営する「高円寺DJスクール」の売りはなんでしょう?
なかね:ギラギラしてないところかな(笑)。ジャンルに厳しい人、例えば“ハウス警察”とかはいないようにしているので。
―いや、それはスクールを選ぶ上で結構重要なことだと思いますよ。
なかね:他のスクールだと「俺らはこのジャンルに詳しいから、強くなりたい人は来い!」みたいな感じが多かったりするんですが、うちはちょっと違うんです。
―その点で言うと、DJスクールに通うメリットってどういうところなんですか? 独学でもできることだったりしますが。
なかね:まずは地盤が固まるというところですね、「テクニックの根拠」が身につくので。その点自信もつくし、仲間ができるので1人じゃないっていう安心感も持てると思います。1人でやっているだけだと「これでいいのかな?」って思い続けるんですよね。その気持ちはスクールに通って解消できると思います。
―自分を相対化できるのも良い点ですね。
なかね:あと、自分でコミュニティー作るのって結構大変なので「ここにありますよ」と(笑)。
―なかねさんのこれまでの話を聞いていると、DJって人と人とのつながりが大事なんだなと思いました。しかも、スクールの値段かなりお安いですよね?
なかね:中には、20万円を超えるようなスクールもあります。うちは最初のコースでその半分くらいです。かつむっちゃ分割できるようにしているんですよ。カリキュラムが6ヶ月なのに、お支払いが9ヶ月払いを選べたり(笑)。それってスクールにとってリスクではあるんですけれど、昔の自分を見たらいやいやと。「そんなに払える余裕ありましたか?」って思うんです。本当にいろんな人にチャンスを持ってもらいたいので。
―それは、例えば学生さんにもありがたいですよね。
なかね:これでも昔に比べたらかなり値段を上げたんですけれどね。昔はスクールの値段を下げすぎたのもあって本当にヤバくて、電気/ガス/水道が止められたんで(笑)。それは流石に迷惑かけているなと思って、最低ラインは確保しています。
DJの道で露頭に迷っている人がいたら…
―これはぶっちゃけた話なんですが、DJスクールって何かと闇深いイメージで。ちゃんと教えてくれるのかなと心配じゃないですか。例えば他の楽器だったら、これまでこう教えたら上手くなるというのが何十年もかけてステップが確立されているんですけれど、DJってその点どうなのかなと。
なかね:先生の自己流で教えているところもあるとは訊きます。でも、それって教える側のマインドの問題もありますよね。やるからには生徒さんができるようにならないと意味がないので。うちは長年やっているので、カリキュラムもしっかりあります。と言ってもまだまだいろんな人に学びながらブラッシュアップし続けている最中です。
―スタンダードのDJ機材もどんどん変わっていきますよね。
なかね:これはどうしても、最大公約数的な話にはなっちゃいます。でもその基礎になる技術の形態はしっかりあるので、それを教えていきたいですね。もし、DJの道で露頭に迷っている人がいたらとりあえず練習会にきて欲しいです。無理にスクールを進めたりしないので(笑)。
―あと初心者の人って「オートシンクを使う/使わない問題」に迷うと思うんですよ。なかねさんはどう思っていますか? ※オートシンクはDJ機材に内蔵している自動でBPMを合わせてくれる機能。使うとダサいという風潮もある。
なかね:実は「テンポ合わせって意外に楽しい」っていう(笑)。「DJの満足度」という意味で考えると、耳で合わせる方がグッと満足度が上がるんですよね。むしろそれがなくなると寂しい。なので、オートシンクは使いたい場面で使えればいいのかなと。これは、個人的な話なんですが、画面を見る必要あるとその分頭のCPU/メモリを使わなければいけないじゃないですか。でも、画面がなければお客さんを見ながらプレイできるので。
―なるほど、それは家でDJをしているだけじゃ気がつかないことかも知れないですね。ちなみに、DJになる人のパターンってどういうのが多いんでしょうか?
なかね:まず多いのが、音楽が好きすぎて家にCD/レコードが溜まっていって他の人に広めたいというパターン。他には最初からDJになりたい人とか、僕みたいにたくさんの人が盛り上がる空間とか場を作りたいっていうパターンとか。
どう楽しくアレンジしていけるのか
―今まで接してきた生徒さんって何人くらいになるんですか?
なかね:遊びでやってた頃から数えると、700人とか800人とかかなあ。毎年80人くらいですね。
―それはすごい! 生徒さんとの印象的なエピソードがあれば、教えて欲しいです。
なかね:最近自分より年齢が上の方がいらっしゃるんですよ。今年に入って特に多いかな。その中の1人に、40代の方でお子さんがいらっしゃる方がいて。最初は悩み相談から始まったんですけど、思春期の息子さんが部屋から出てこなくなっちゃったと。ただ唯一音楽の話だけは少しするし、部屋からは音楽が聴こえてくる。それを聴いて、DJをやったらなんとかなるかも知れないと思って習いにこられたんですよ。それで楽しそうに習ってらして。機材も買われて。そしたらなんと、息子さんが部屋から出てくるようになったんですよ!
―そのエピソード泣けますね…
なかね:その後は、息子さんから自分が好きな音楽を教えてくれるようになったんですって。そんな話は沢山ありますね。1人1人ストーリーを持って習いに来られるので、初回のレッスンではそれを聞くところから始めていて。
―それは先ほどおっしゃっていた「音楽は壁を突破できる」例ですね。DJという選択肢をとったお母さんもすごいですが。
なかね:一人でもこっそり始められますからね。どんな方でもここに来て頂けたら大体なんとかなりますので(笑)。
―改めて考えると、800人を輩出するってクラブカルチャーを下支えする窓口になっていますよね。プロになるかどうかではなくて、その裏にいる音楽を好きな人たちが、自分でも発信するようになるきっかけ作りの場って素敵だなと話を訊いていて思いました。
なかね:色々な人のトリガーを弾きまくりたいんですよね。人は変われるし、自分は「なんでもない人が何かになる」瞬間を見るのがめっちゃ好きなので。
―その原点は、ご自身がDJになった瞬間ですか。
なかね:そうですね。あと実はアパレルの店員をやっていたことがあって。服屋さんってお客さんを変身させられるじゃないですか。そういうのが好きなんですよね。DJができるって、ある意味武装なんですよ。武装して強くなってしまえば、それに中身まで引きずられて生まれ変われる的な(笑)。あとは欲を言えば、そうやって変わられた人と一緒になにかイベントとかしていければ良いですね。それは今後の課題です。
―今後こうしていきたいという話を最後に訊きたいです。
なかね:僕のところの門を叩いてくれる人って、今の生活をもう少しワクワクさせたい人だと思うんですよ。だから、DJができるようになった人が活動できる場を作りたいんです。DJさんだけじゃなくてフライヤーのデザイナーさんとか動画編集ができる人とかも一緒になって楽しんでいける場をオンラインでも良いので作っていきたいかな。あと、ぶっちゃけた話DJって3年くらいで飽きる人が結構いるんですよ。
―それは、ぶっちゃけた話ですね(笑)。
なかね:しかも、割と多い。だからこそ、そこをどう楽しくアレンジしていけるのか、DJに向き合い続けられるか。そこがもしかしたら人生の鍵かも知れないですね。

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